わたしにできることとは
書類選考が通過したとの嬉しいお知らせ。月末には二次選考となる。
相方さんがちょっとしたお祝いにということで、小さい財布をプレゼントしてくれた。
これあげるんだからちゃんと頑張ってよ、と釘を指すあたりがさすが相方さん。
そういって喜んでくれるのも応援してくれるのも、しっかり嬉しかった。
ただ、一方で自分のオリジナリティってなんだろう、と悩んでいる。
自分がこの分野でやっていけるのかというのは、もちろんずっと感じている。
そして、この分野を読んでいてもあまり面白くないことが多い。
これすごい!これ面白い!こんな風にやってみたい!という論文に出会ったことがない。
これっていいのかな、こんなことでいいのかな、とずっと悩んでいる。
他の人にも聞いてみようかな。
これまでやってきたこと、もう一度焼き直してみないと。
その作業をしながら、私にできることを探っていったらいい。
7月
あっという間に7月に。これで2018年も半分が終わり。
やっと前期の仕事も終わりが見えてきて、最後のエンジンを掛け直すような感じ。だけど、本業のほうは、何ができたんだろう…
相方さんに、
行かなくていいの?もっと根詰めてやらなくていいの?
と言われたことがもやもや。
そんなにやってないように見えるかな。
それか自分の中にある「やれてなかったなあ」という罪悪感が共鳴しているから、こんなに気分が下がるのか。
最近読んだ「3月のライオン」の一節を思い出す。
自分で手を抜いたという引け目があるやつは、最後の最後で諦めるんだ
というような意味合いだった気がする。
でも、手を抜かずに、引け目を作らずに毎日生きることなんて私にはできそうにない気がする。そんなに強くないから、そんなに自分を追い込めない。
出来ることからやっていくしかない。
7月は大きな締め切りが2つ。
やりすぎなのか中途半端なのか
自分がすべきこと、しなくていいこと、したいこと
その区別がうまくできなかった5月だったなと反省。
どうしても、これって必要でしょうと、自分で必要性に駆られてやりすぎてしまうタイプなのかな、というのは分かってきた。だから距離を取ることは大事なのだろう。
でも、結局あれもこれも中途半端じゃないか。研究をしない言い訳にしているのではないか、と思う。
そうなのかもしれないな。
でも、本当に自分がしたいことはその時々で変わってくる。したい気になっている、という状態もある。
屈託のなさ
彼の屈託のないところに毎回救われている。
そう思うと、自分がこれまで屈託ありすぎたなwと思うけど。
一つの論文を諦め、次へ行かねば!
学会シーズンにもなるし、楽しい研究やってくしかないね。
積極的取捨選択
浮かれた4月が過ぎ、疲れが出てきた5月末。
5月の前半もとても充実していた。その疲れが出てきているのだろうか、毎朝だるい。
本業のほうがうまくいっていないという、そういうストレスもありそうだけど。
本業をしっかりしないと次に行けないのに、自分の頭の中では結婚に対する期待もだんだん大きくなっていっていて。
このままで本当に大丈夫なのか?と思うときもある。
結婚についてはひとりでどれだけ考えても仕方ないことなのだから、ひとまずは本業に集中しなければいけない。
忙しいシーズンも始まる。楽しく本業ができるよう、取捨選択をしなければ。
浮かれた4月
4月になり、いろいろ始まり結構しんどいはずなのに、浮かれているのがわたし。
この浮かれようは自分でもびっくりしている。
毎日がとても楽しい。
その原因は、彼。
早すぎるとか、恋愛の自信をなくしたとか、いろいろうだうだしていたけれど、すでに好きになってしまっていたという。
わたしって単純なんだろうか。
でも、毎日のやりとりも楽しいし、一緒に食べるご飯も美味しい。彼の働いている姿を想像したりもしている。
そして、次に会う約束をちゃんと入れてくれて、不安はあまりなくて、彼がわたしのこと好きなんだなというのがすごくわかる。気がする。
そして、GWは二人で東京に1泊旅行することになり、その次の次の週は温泉で1泊旅行という。もう、楽しみでしかないじゃないか。
仕事も苦にならない。浮かれてて大丈夫なのか、と不安になることくらい。
柄にもなく、母親にも話をしてしまった。これについてはまた。