赤い傘の観察と分析

考えたこと、したこと、言ったこと、見たこと

がまんとは何か

「がまんしなくていいんだよ」

「これまで誰にも頼れてこなかったんじゃないの?」

そんな言葉を言われたのが心の中で反響する。

だけどやっぱり、自分は人を傷つけているんじゃないか、人を追い詰めているんじゃないか、と思うことも多い。がまんして、誰にも頼れなかったからこそ、がまんせず、誰かに頼ろうとしてばかりいる人に対して、イライラをしてしまうのかもしれない。

そして、それがきりんさんだったりするのかもしれない。

そうであれば、やはり私の側にも問題がないわけではないのだ。

気をつけなければ。一緒にいれなくなってしまう。

がまんしないってどうすればいいんだろう。何を我慢するべきで、何ががまんではないのか。

今朝の朝ドラの「自由」のくだりも興味深い。何でもかんでも自分の好きなようにするのが自由なのではなく、いろいろある中で、自分が何かを決めることが自由なのだ、と。決めたら決めたで、苦しい思いや悲しい思いをするかもしれないけれど、自分が自由に決めたことなのだ、と。

だとすれば、がまんも自由な選択の結果の一つで発生するものであり、そうだとすれば我慢して当然。自由な選択ができないなかで、発生するのがしなくていい我慢?なのだろうか。我慢と抑圧は違うと思うし。

何について何をどう我慢しているのか、もう少し考えてみようと思う。同時に、きりんさんがしている我慢も。